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「勝手に神戸学検定上級問題(^_^)~合格目指して公開受験勉強(^_^)~歴史~」

  • 2013/07/09(火) 17:15:59





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スポーツ・国際交流・神戸はじめものがたり」の問題については
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いよいよ受付も始まった
第7回神戸学検定(^_^)」。正直
受験勉強、遅れてます(^_^;)」。効率よく勉強するためにも(手を抜きたいだけ
過去問2回分だけ(^_^;)」ではありますが、気が付いた
問題傾向を分析

テキストからの問題配点率」
・第5回問題…73.3%上級は第5回より開始
・第6回問題…85%

固有名詞が回答となる問題配点率」
・第5回問題…91.7%
・第6回問題…86.6%


2回で同じ事柄についての問題配点率」
(解答が違っても同じ事柄についての問題を含む)
・6.7%(4問のみ

テキスト項目別問題配点率」
味・料理…5.8%(第5回6.6%、第6回5%)
芸術…10.8%(第5回8.3%、第6回13.3%)
教育・学校…0
スポーツ…1.7%(第5回1.7%、第6回1.7%)
国際交流…4.2%(第5回6.7%、第6回1.7%)
神戸はじめものがたり…2.5%(第5回1.7%、第6回3.3%)
神戸の歴史…20.8%(第5回18.3%、第6回23.3%)
神戸の伝説…1.7%(第5回1.7%、第6回1.7%)
神戸の経済・産業…15%(第5回21.6%、第6回8.3%)
タウンガイド…33.3%(第5回30%、第6回36.7%)
神戸の文化財/近代化産業遺産…0
神戸の概要…0
阪神・淡路大震災…4.2%(第5回3.3%、第6回5%)
神戸の自然…0
神戸のあゆみ…0

かなり
偏りもあります」ので、
追い込みの時点では項目を絞るのも得策(^_^)」だとは思いますが、
欄外からの問題もあり(^_^;)」、やはり
広い知識も求められている(^_^;)」とも言える?


第2章 歴史
神戸の歴史
原始・古代
「原人」から縄文人、そして弥生人
( )が( )市の( )で更新世時代の人骨を発見している。
のちに( )が( )と主張した。( )遺跡、( )川流域の( )遺跡、
( )川水系の( )・( )一帯などで旧石器時代のナイフ型石器が発見されている。
( )遺跡などでも同様の石器が見つかった。縄文時代になると、
( )遺跡のほか、( )南麓の( )遺跡などから、
土器・土偶や石棒など、祭祀をうかがわせる遺物や竪穴住居、
ナウマンゾウの化石などが発見されている。
弥生前期の( )遺跡では鋤や鍬などの農具が見つかり、
( )遺跡や( )遺跡では水田の跡も発掘された。
また( )・( )遺跡では貯蔵穴がたくさん見つかっている。
( )川流域の( )遺跡では玉造り工房や鋳造の鉄斧も見つかっている。
弥生時代の後半には、( )・( )・( )・( )・( )・( )など、
東部を中心に高地性集落が見られる。
中国の「魏志倭人伝」に記された( )との関係を指摘する見解もある。
弥生文化は青銅器を伴った文化でもあり、
( )遺跡からは一度に( )個もの銅鐸と( )本の銅戈が出土した。
この記録は島根県・加茂岩遺跡で銅鐸が39個発掘されるまで破られなかった。
これらの銅鐸・銅戈はすべて( )に指定された。現在、( )が所蔵。
このほか( )・( )・( )・( )・( )遺跡などからも銅鐸が出土している。

海と丘を支配した豪族
( )・( )・( )・( )などが古墳時代前期の古墳である。
海岸沿いには( )・( )・( )の3つの古墳がほぼ( )キロ間隔で並び、
( )を生んだが、同時期の古墳ではなく実話ではない。これらは豪族の古墳だろう。
一方、( )川流域にある( )、( )、( )墳などは
本格的な埋葬施設はなく弥生時代の墳丘墓に近い。
神戸の古墳を代表するのは、県内最大の前方後円墳・( )古墳。
( )古墳や( )古墳も海岸に位置した古墳だったが、形をとどめていない。
一方、内陸部にある( )古墳は( )川流域を統治した豪族だと思われる。
5世紀末になると古墳は小型化した。( )・( )・( )・( )などが知られる。

古代から国際港-行基が整備
現在の市域は古代の( )・( )・( )・( )・( )の各郡にまたがっている。
奈良時代、兵庫の港は( )と呼ばれ、僧・( )によって整備されたとみられる。
また朝鮮半島にあった( )の使が日本に来た時には、( )で酒を醸して、( )で給した。
古代に特別な待遇を受けた神社として、( )があり、( )郡=( )・( )・( )、
( )郡=( )・( )・( )、( )郡=( )・( )・( )、
( )郡=( )・( )・( )・( )・( )の各神社が知られる。

古代山陽道と文学の舞台
都から西国への交通の要衝でもあった( )から( )にかけては山陽道が走り、
( )には( )・( )の2つの駅家が置かれていた。
このうち( )は、( )遺跡から「駅」と書かれた土器が出土している。
「万葉集」では( )・( )・( )・( )・( )・( )・( )が歌いこまれた。
なかでも国際港・( )に関するものが多い。
また( )・( )にまつわる悲恋物語は「万葉集」以来、
様々な文学作品に形を変えて登場する。
天皇の怒りに触れて( )に3年間籠もった( )が、
( )の娘を( )・( )と名付けて愛し、彼が都に戻った後、
姉妹が庵を編んで暮らした話は、能楽、文芸などに取り上げられた。
町名改正の際、( )町・( )町が誕生した。彼の父は( )、弟は歌人の( )。
紫式部の「源氏物語」の舞台にも( )が選ばれている。
この後も「平家物語」や「太平記」など、多くの文学の舞台になった。

清盛の「開港」と福原遷都
国際港の役割を失っていた兵庫を再生させたのは、平清盛だった。
彼の祖父( )のころから西国海域へ影響力を持ち、
父( )は海外貿易に直接かかわり、彼も大宰府の次官・大弐となって、
( )貿易を掌握した。
彼の時代になると貴族向けのぜいたく品に加え、
( )や庶民向けの( )が大量に輸入されるようになった。
彼は太政大臣を辞して翌年、福原に移り、( )を修復した。
後世、( )と呼ばれたこの地を、中世の人たちは( )と呼んだ。
船入江の突端にあった( )寺は通称( )寺と呼ばれた。
難工事のため人柱になった( )の菩提を弔うために築かれたとの伝承があるが、
( )とされており、そこから( )ともいわれる。
彼は( )を福原の山荘に招いて( )人との対面を実現させた。
その後( )、母が彼の正室( )の妹( )である( )、
母が彼の娘・( )である( )を連れ福原遷都を強行し、( )を彼の別邸に迎え( )とした。
さらに彼は福原の南西に新都( )の建設を構想した。
その位置については、北東から南西にまっすぐ走る( )を都の中心の朱雀大路とする説と、
( )の日記( )などの記述から、( )付近に南北の朱雀大路を置く説がある。

源平の戦いと平家の滅亡
( )の死後、( )に敗北した平家は、いったん西国に落ちた。
この時、( )の館郡も平家の手によって焼かれたという。
その後態勢を整え、平家は、( )から( )まで広い範囲に陣を構えた。
( )から( )へ南下した( )軍に、( )で( )が陣を構え、
( )付近で( )が待ち受けたが、( )は難所の山道を進軍し背後を突いて大勝した。
世に有名な( )であるが、その場所となると( )説と、( )の2説がある。
この戦いで( )以下、( )・( )・( )・( )・( )・( )ら
多くの一族の武将を失い、( )を守っていた( )も生け捕りにされ斬られた。
中でも16歳の若武者・( )は、( )との一騎打ちであえなく最期を遂げた。
笛の名手だった彼は、能など後世の芸能や文学にも多く取り上げられた。
( )寺の( )には、彼ゆかりの笛が伝来と記載されている。
また( )西端に( )がある。
一説には周辺の五輪塔などを集めた( )だったものがなまったともいわれる。
( )は続く( )の戦いに敗れて、( )の戦いで滅びた。
このころから荘園が発達し、鎌倉時代から戦国時代にかけて史料が残る( )荘や
公家の日記などに登場する( )荘、( )荘、摂関家の( )家文書に登場する( )荘、
平家領の( )荘、( )・( )・( )荘、( )荘・
( )荘・( )荘・( )荘・( )荘・( )荘・( )荘・( )荘・
( )荘・( )荘・( )荘・( )・( )・( )・( )荘などが知られる。

中世
港の復興と仏教の浸透
( )を再建した( )は、引き続き( )も大がかりに修復した。
その後、奈良・西大寺の僧・( )が( )を訪れた。
そして( )寺で多くの人に戒律を与え、石塔供養を行った。
これこそ( )ではないかと、注目を浴びている。
そして同じ年、( )が( )を訪れた。
彼に同行した( )は( )に( )や( )が築造した( )を巡覧した時の様子を活写した。
鎌倉新仏教の( )は、流される途中に兵庫に寄って民衆と結縁し、また踊り念仏で
知られる時宋の開祖・( )がこの地で入寂し( )寺に廟所が設けられた。
( )は( )の関料を東大寺に寄進した。関料を取っていたのが( )である。
また室町幕府が興福寺に修復料として( )の関銭の徴収権を与えた。
( )町という地名も生まれた。

転換期に続く動乱
鎌倉幕府倒幕の動きに呼応し、( )の武将( )が挙兵、
( )などを拠点に( )勢と戦い、これを機に( )、( )などで合戦が繰り広げられた。
同じ年鎌倉幕府が滅び、( )の( )にいた( )天皇は京都に戻ったが、
恩賞に不満を持った( )らは( )側につき、対立を深めた。
新田義貞らに敗れた( )は、いったん逃れ勢力を盛り返して( )に上陸、
南朝方の( )を( )の戦いで破った。
( )さんと親しまれ、( )藩( )が五重塔を建て、( )が碑を建て、
( )の命によって( )が創建。
室町幕府が開かれると( )一族は( )・( )・( )・( )の守護を兼ねたが、
( )の曾孫・( )は( )に不満を抱き、自邸に招いて殺害。
その後幕府軍に攻められ( )の( )で自害した。世に言う( )。
これによって応仁の乱が起き、西国の( )が参戦、( )に上陸して町を焼いた。
東軍方についていた( )は( )郡の( )などで迎え撃ったが敗北。
( )を追放した( )が幕府の実権を握ったが、
養子となった( )・( )・( )が家督争いを繰り広げ、( )は戦国の世となった。
( )氏が衰えた後は、( )や( )を退けた、家臣の( )が権力を振るい、
その死後はその家臣の( )と呼ばれる( )・( )・( )や、
( )を襲い自殺させた( )が( )の西にあった( )などを舞台に勢力を競った。

再び国際港として脚光
1401年、日本と中国の( )は国交を樹立、貿易を許される使節団の出発港が( )となった。
( )寺・( )寺・( )寺・( )寺・( )寺などの
禅宗寺院は村も室町時代の文化の拠点となった。
また( )寺の( )に入港した記録として( )と( )がある。
前者は( )の港から( )へ入港した船から( )を徴収した記録で、
( )船が、年間( )艘も入港。船の規模も最大は( )石積みであった。
積み荷は( )がもたらされた。
船籍地は、現在の市域内では( )、( )、( )の3港が記録されている。
( )所属の船は、( )品目を運んでいて、( )港湾中最大の港だったことが分かる。
( )は( )や( )を運ぶ( )の船。
船籍地は( )のほか、( )、( )や( )の( )・( )・( )、( )、( )など
( )に登場しない港があるほか、( )を行き交う( )船も登場する。
( )は( )の各地と( )を結ぶ( )の役割を果たしている。

丹生中心に独自の中世文化
( )を中心とした海岸沿いが中世に歴史の表舞台に登場していたのに対し、
( )区には独自の( )文化が栄えていた。
( )から( )を経て( )、( )から( )へ入るいわゆる( )道で、
( )街道とも呼ばれた。
( )が開基したと伝える( )現・( )の南側を通る街道である。
室町時代初期に建てられた中世土豪の住居・( )は日本最古の現存民家である。
同じころの石造物が多くある( )、室町初期の三重塔を持つ( )、
藤原時代の( )などを安置する( )、その鎮守で室町初期の本殿を持つ( )、
平安―鎌倉期の仏像がある( )。
他にも( )の( )、( )の( )など中世の仏教文化が豊富に残っている。
( )道をさらに東へ行った( )には( )が開き( )が( )にあたって
鞍馬に見立てたという( )がある。( )が( )に宿場を置いた以降は、
( )から( )-( )を通って( )へ行く北側の( )道が( )街道になった。
この街道沿いにも( )開基と伝える室町時代の三重塔を持つ( )寺、
古式の御弓神事を伝える( )など、中世文化が今も息づいている。
一方、( )区には( )が国宝に指定されている( )、( )開基と伝える( )寺や( )寺、
( )開基と伝える( )寺などがあり、いずれも中世に大いに栄えた。

近世
天下人とともに
( )が上洛し、( )や( )を追放し、もと( )氏家臣で、
後に茶人として( )に仕え、( )の一人に数えられた( )が( )となった。
彼は( )に( )城、( )に( )城を築き、( )を城主に、( )にも守らせたという。
しかし( )に内通していると疑いを掛けられ、( )城は( )によって落城。
その部材を使って( )城を築城した。( )城を築く( )は二男。
( )が本能寺の変で倒れ、( )が跡を継ぐと、
兵庫の町の商人・( )が( )の下代となり、船役などの徴収を請け負った。
( )は( )にたびたび訪れ茶会を催している。
( )の大地震とその余震がこの地を襲い、兵庫の町はことごとく被災し、
( )でも裏山が崩れ、( )・( )・( )が倒れて生き埋め者が出た。

世界一の都市を支えた港
( )の町は荷継ぎ場として再確認され、
町の北側をまっすぐ西に向かっていた( )街道は、町中を通過するように付け替えられた。
港の機能は一層強化され、近世では( )に代わって、( )と呼ばれるようになった。
大坂夏の陣で( )氏が滅ぶと、( )城に江戸幕府の譜代大名・( )が入り、
( )や海岸線の多くの村が( )領となった。
のちに彼に代わって( )が入部、その後は( )が入部、定着した。
一方、内陸部には( )郡に( )領、( )郡に( )領がまとまっていたほか、
( )や( )領、( )領や( )領が入り組んでいた。
江戸幕府の鎖国政策時にも、朝鮮通信使が十二回来日し、( )にも毎回上陸した。
また全国で唯一、( )と呼ばれる西国大名の問屋も置かれ、
国産物資を売買する特権を持ち、諸船の調達を担った。
一方、それまで山越えで大坂へ運んでいた加賀藩の藩米を、
( )で酒造業を営んでいた( )が船で運ぶことを請け負った。
こうして( )・( )の物資が( )を経由して( )に集まるようになった。
( )は( )に( )を最初に船で運んだともいわれ、( )は( )とも結びつく。
その後、西廻り航路が開かれると、遡る( )の川底が( )ため、
大坂までの大きな船の航行が難しいため、
( )の港で廻船から船と( )船と呼ばれる小さな船に積み替え
大坂に運ぶのが一般的になり、( )は大坂の( )となった。
( )の( )船が頻繁に大坂に行くようになると、
大坂の川中輸送に特権を持つ( )・( )が権利を侵害されたとして訴訟を起こし、
( )船は敗訴。

北前船の拠点として
北前船が盛んになると( )は諸物質の集散地として再び脚光を浴びた。
北前船では、( )と呼ばれる経営が盛んに行われるようになった。
運ぶだけの( )とは根本的に違っていた。
( )随一の豪商と言われた( )では、
入港した船頭たちを自邸に泊まらせ手厚くもてなした。
( )と呼ばれた一種のサロンとなり、これは( )の遺訓とされる。
その後家督を継いだ( )が、( )が低迷していた中で( )経営に乗り出した。
( )出身の( )は漁師から( )で( )の水夫となり、船の帆を改良した( )を完成させた。
ほかに( )に防波堤を築いたり( )船などを発明。
( )出身の( )も( )で修業を積み( )で成功を収めた。
( )当主、( )と出会い、( )の商法を学び、( )の斡旋で船持ちになった。
幕府の命により( )に漁場を設置した。
ロシアの( )監禁の報復としてロシア兵に捕えられたが、
( )釈放に尽力し、日露衝突を回避した。( )には顕彰碑がある。
近世の後半には( )に人材と物資が集まった。
幕末の勘定奉行( )は兵庫の発展振りを書いたほどである。

六甲山系が培った日本一の酒どころ
( )は全国一の酒造地帯へ急成長する。( )で酒造業が興隆したのは、
( )の伏流水が豊富で( )などを多く含んだ( )に恵まれたこと、
( )を下る河川に精米する( )を設けたこと、
大きな酒蔵を建てられる( )が多く( )へ運ぶ( )に恵まれたこと、
良質な酒が造られる( )に集中したことーなどが挙げられる。
酒は初め、( )で( )に運ばれたが、腐りやすいことから、
( )を優先した( )が仕立てられ( )に運んだ。( )を競った( )なども登場。
( )に全国から運ばれた酒の( )%が( )の酒造地帯から運ばれている。

御影石・菜種・素麺・煙草も特産に
灘といえば酒ばかりが有名だが、それ以外にも重要な産物がある。
( )石は( )城の築城に盛んに使われ、( )石の別名となった。
ただ( )は産地ではなく、実際は( )村で採石し隣の( )村から積み出した。
( )油もこの地を代表する物産だった。灘に( )による( )油屋が現れる。
幕府は大坂地域以外の( )油業を禁止するが、反対運動が相次ぎ、
大坂の問屋に送ることを条件に( )・河内・和泉の在方( )油屋を許可した。
奈良の( )の技法を取り入れて灘で始まったとされる( )も( )による動力が使われた。
( )郡灘にて製造したものが江戸の相当の需要があった。
( )、( )、( )で受賞した。
また( )郡の台地上の村々では( )を栽培、
このほか、( )、( )、( )・( )などが盛んだった。

灘目の幕領化と広域行政の推進
幕府は( )・( )・( )・( )・( )の範囲に渡る
( )の海岸線の村々を幕府領とした。
( )郡・( )郡・( )郡にまたがった。いわゆる( )である。
発端は長崎奉行を務めた( )が( )を通り、この地方の豊かさを知り、上申したという。
しかし( )の確保策に象徴されるように、
流通問題で弱体化した幕府を立て直すことを狙ったのである。
このことは( )に干鰯屋株を設け、( )で米仲買仲間を結成させ、
この地方の商業力を掌握しようとしたことからもうかがえる。
しかし、この結果、( )海域の海防を任され
大坂の防衛を担っていた( )藩の力を弱める結果になった。

開国か攘夷か―港町に再び脚光
幕府は列強との修好通商条約で兵庫は開港場に指定した。
しかし朝廷が反対したことから、開港は延期された。
( )防備を重視した将軍( )はこの地の視察に訪れ、( )に上陸、
この時動向した( )がここに( )の設置を願い出て認められた。
彼が進言したのは、( )の( )が、既に船たで場を設けていたからである。
( )や( )も務めた( )ら、優秀な人材を輩出した。
その後( )公使( )ら4カ国の代表が軍艦で京都に来航、あらためて開港を迫った。
京都に近い兵庫開港は予定日( )年前になって勅許が下りた。
ただし兵庫開港といいながら、開港場は東側に隣接する( )が選ばれた。
( )ことや、( )ためであった。
開港に備えて現在の( )の船入り場北には( )が設けられた。
神戸初の( )で、( )と呼ばれ、( )には( )が設けられた。
そこはその後、( )と改められた。
また( )と開港場が近く、大名行列と外国人の衝突事件が起きることを懸念して、
( )から( )へ抜ける通称( )と呼ばれる迂回路も設けた。
ところが開港直後( )前の( )で( )警備に向かっていた備前藩士が、
行列前を横断した外国人を負傷させる事件が発生した。
神戸・兵庫の町は一時、外交兵によって占拠され、兵庫港内の諸藩の船は拿捕された。
いわゆる( )で、明治政府は勅使として( )を派遣し、( )公使( )らとの交渉の結果、
備前藩の隊長( )を切腹させて謝罪し、決着した。
交渉に当たった( )は、( )となり、翌月( )は( )と名称が変わり、さらに( )となった。
初代知事は同じく( )の処理に当たった( )が就任。

近代
開港と外国人居留地の開設
開港に伴って外国人が居住し、貿易活動を行う( )が設けられた。
今の( )の西側から( )までの、現在( )と呼んでいる一帯で、
南は( )までに及んでいた。
イギリス人で、( )の書記も務めた( )が設計にあたり、( )区画に分けて整備された。
( )の真ん中にはメイン道路、現在の( )が南北に走り、
( )には( )としての緑地帯が設けられた。
( )と( )は区別され、南北の道路には( )を海に流す( )が埋設された。
スポーツを楽しむためのレクリエーショングラウンド、現在の( )も造られた。
今も残っている( )町、( )町、( )町、( )町、( )町、( )町などは当時、
( )に付けられた名前である。( )には( )ホテルが完成し、
今ではほとんどの商館が姿を消したが、( )領事館だった( )だけが復元され、
( )に残る唯一の商館として( )に指定されている。
( )本社の所有で、今も( )として使われている。
この( )開設にあたっては、居住する外国人に( )が認められるなど
日本にとって不平等条約であったが、( )事件をきっかけに、
日本に( )が返還されて( )が撤廃された。( )についても消滅した。

街づくりが進む
1871年には( )川の付け替え工事が行われた。
当時、現在の( )町から( )へ流れていた。付け替えを請け負ったのが( )。
1874年には( )-( )間に( )鉄道が走った。途中の停車場は( )と( )だけ。
その後( )-( )間が開通し、( )-( )間が全線開通した。
( )、現在の( )駅が建設されることになった( )町一帯では住民の立ち退きがあった。
( )街道と交差する( )は汽車を見ようという見物客でにぎわった。
( )川の下をくぐる河底トンネルは日本で最初の鉄道トンネルとして建設された。
( )運河も大工事だった。( )の激しい潮流で船がしばしば遭難するため、
現在の( )がある( )の北側を回る( )運河が
( )、( )、( )ら豪商の資金援助によって出来上がったが、
この運河を( )までさらに西へ延ばす工事は、( )が実施した。
日本最大級の運河となった。
同じ頃に行われたのが( )川の付け替え工事である。
財界人が共同出資して設立した( )が旧( )川を現在の( )の辺りから西へ曲げ、
( )にトンネルを通して新( )川として( )川まで流す方法で付け替えを実施した。
この( )トンネルは手堀りで造られた日本で最初の河川トンネルである。

新開地の誕生
( )川の付け替え工事で埋め立てられた旧河川敷は( )公園になり、
その後の新開地の誕生へとつながっていった。
この頃の神戸の中心的な盛り場は( )から( )にかけての一帯だった。
新開地では( )が初めて誕生して以降、( )、( )などの劇場が開館していたが、
東洋一といわれるほどの豪華な( )ができてからは神戸きっての歓楽街になった。
東京の( )に対抗して建てたと言われ、場内は( )様式で飾られた。
豊臣秀吉が京都に建てた豪華な邸宅( )から名前が付けられた。( )という歌も誕生した。
新開地のシンボルともいうべき( )もできた。その高さは当時、東洋一を誇った。

神戸市の発足
神戸市が都市としての形を示すようになった始まりは、
( )、( )の両市街と( )村が合併して誕生した( )にさかのぼる。
神戸市が発足後も( )、( )、( )が所有していた財産の管理、運用にあたっていた。
ここと( )村、( )村が合併して神戸市が誕生した。( )長の( )が初代市長に就任した。
神戸市の市章は、旧仮名遣いの( )の( )と、( )と呼ばれた( )の形にちなんでいる。
神戸港の築港工事を記念して、( )の南斜面に市章をかたどった植樹が行われた。
これが( )山である。隣の( )山は( )をお迎えして神戸港で開催された観艦式を記念し、
( )をかたどって植樹したところからそう呼ばれるようになった。
神戸市の「市民の花」が( )に決まったのは( )に広く自生しているところから選ばれた。
また、「市民の木」は( )である。

メリケン波止場
開港直後の( )港では( )の( )前や( )尻などに波止場が設けられていた。
このうち、( )前の波止場が改修され、現在の( )との間に係船設備のある岸壁が出来た。
( )の前にあったため「( )波止場」と呼んでいたのが、なまってメリケン波止場になった。
第二次世界大戦中は( )波止場と呼ばれていた。

市内が騒然となる
大正時代に入って、神戸市内は2つの出来事で騒然となった。
最初は( )をめぐる( )事件である。
( )番頭の( )が優れた商才の持ち主で日本の( )のルーツ。
( )のあおりで倒産した。( )の小説( )はこの事件を題材にしている。
( )の指定商社になっていた( )を焼き打ちし、筋向いにあった( )などにも飛び火した。
それから3年後には( )によって、市内が再び騒然となった。
労働条件の改善を求めて( )、( )から始まった労働争議だったが、
次第に( )や( )、( )などの事業所を巻き込むまでに広がった。
( )に集まった( )人の労働者が( )から( )を通って( )までデモ行進した。

電気、ガス、水道
( )では( )経営の( )によって初めてのガス灯が誕生したが、
ガス供給の恩恵を受けたのは( )だけだった。
その後、( )の手で市内にもガスが供給されるようになった。
その後、名前を( )に改称していた旧( )を吸収するなどして
神戸、阪神間へとガス供給区域を拡大。政府の方針で( )と合併することとなった。
電気は( )が設立され、初めての電灯がともった。
この会社は( )を経て、( )などに新たな発電所が建設された。
神戸市はこの年、路面電車を走らせていた( )を買収した。( )のスタートである。
その後( )へ強制的に移管され、戦後( )に集約化された。
一方、水道の工事が始まったのは、( )がきっかけとなって( )で通水式が行われ、
神戸に水道が誕生した。
その後も整備が進められ、( )が完成すると給水戸数が拡大した。
現在も神戸市内で最大の水道専用の貯水池として、市内へ給水している。

動物園の開園
1928年、神戸に動物園が誕生した。といっても、場所は現在の( )ではなく、( )。
( )を観測するため、
( )が観測隊を送り込んだことを記念して命名された( )を含む( )一帯は今、
( )公園となっている。( )が( )動物園として開園した。
その後( )に移管されて( )動物園になったのち、現在地の( )へ移転した。
2000年7月には中国からパンダ2頭がお目見えし、
( )、( )の愛称で人気を集めたが、( )年( )月、( )が急死した。
神戸の水族館の歴史は( )で開設された水族館までさかのぼる。
日本初の本格的な水族館だった。
その後( )が、現在の( )として生まれ変わった。

みなとの祭
( )が響くなか、( )が行われた。
第一次大戦後の金融不況、世界大恐慌が直撃し、
神戸も( )倒産以降、暗いニュースが続いた。
( )で野宿する人が増えた。( )の開催には、そうした暗い雰囲気を少しでも打ち破り、
神戸の街を明るくしたいとの願いが込められ今の( )に引き継がれた。

阪神大水害
( )山は、( )と呼ばれた風化した( )に覆われ、山崩れが発生しやすい。
最も被害が大きかったのは阪神大水害。
( )区にあった( )学校は校舎が倒壊、( )区の( )病院は土砂に埋まった。
全体の死者数は、当時の市域だけでも( )人に上った。
( )山系の崩壊面積の42.6%は( )をはじめとする道路や公園などの工作物が
崩壊の原因となった。また、大正時代に暗渠(地下に設けられていて水溝)となった
( )川や( )川は濁流が周囲にあふれ出し、被害を拡大させた。
この水害に遭った作家、( )は小説( )の中で土石流の様子などを活写した。
そのため( )との呼び名もある。
阪神大水害後、内務省の( )が設置され、国の直轄で砂防ダムの建設が進められた。
戦後も( )が砂防事業を受け継ぎ、( )山中に砂防ダム( )基を建設した。

その他の豪雨被害
1967年の水害の中でも悲惨だったのは、( )山中の( )地区。
市街地も小河川が氾濫し、( )沿いでは鉄筋4階建てビルが倒壊した。
これを受けて県は( )を設置。

新湊川の氾濫
近年の神戸の水害としては、( )区、( )区を通って大阪湾に注ぐ( )の氾濫。
以前の( )は、( )から( )に沿って流れていた。
( )から( )付近で氾濫。周囲の( )が床上浸水した。

神戸空襲
最初の空襲は1942年。米軍( )隊の( )爆撃機によるもの。
1945年には( )が集中する神戸は、( )部隊による大規模空襲は5回に及ぶ。
( )にかかる( )橋では熱風が巻き起こった。
ここに近い( )寺には戦没者慰霊碑がある。
また犠牲者名を刻む慰霊碑が、( )に建立されることになった。
最大規模の空襲では( )機が神戸上空に飛来し、
投下した焼夷弾は約( )トン、( )個以上にもなった。
また、米軍は( )作戦も神戸で行った。
神戸での空襲を伝える文学作品としては、( )の( )や( )の( )がある。

戦後
連合国軍の進駐
神戸には米軍の師団が進駐し、接収した( )、( )に( )を設けた。
( )から( )までの一帯は( )、( )の約10ヘクタールは( )として使われた。
( )の跡地は現在の( )公園に生まれ変わり、( )は( )として整備された。

失敗した神戸博
( )と( )を会場に、( )、通称・神戸博が開催された。
初代の公選市長の( )が奔走して実現にこぎつけた一大イベントだった。
名誉総裁には( )首相が就任した。しかし、この神戸博は( )円の赤字を出した。
開催当時の市長は( )。
彼は5期20年にわたって市長を務め、この間、( )の構想を提唱し、
( )と言われた( )建設などの公共事業を推進するなどして、
( )市長、( )市長を呼ばれた。

広がる神戸市域
( )、( )、( )との合併を皮切りに周辺町村との合併を繰り返したことにより
人口増加していった。( )との合併まで、神戸市は10回の合併を実施した。
この間、( )、( )、( )の合併で( )区が誕生し、
( )、( )、( )の合併で( )区が発足した。
こうした合併に( )などの埋め立てが加わって神戸市の面積は広がっていった。

ポートピア’81
( )は総事業費( )円をかけて着工、完成した。
( )ヘクタールの広さで、神戸市は( )で総額( )円の( )債を発行して、
建設資金の一部に充当した。
この完成を記念して、開催されたのが( )通称・ポートピア'81である。テーマは( )。
当初、当時の神戸市長の( )は開催に慎重だった。
会期中の入場者は( )人に達し、( )円の黒字を残した。

ユニバーシアード神戸大会
大学生の国際総合競技大会のユニバーシアード神戸大会が( )をメイン会場に開催され、
世界の( )カ国・地域から( )人の選手、役員が参加した。
この大会は開催地が財源負担する形での開催になった。
このため、兵庫県と神戸市の負担分に経済界の募金などを加え、
さらに不足している分は協賛金を提供した企業に
シンボルマークなどの使用を優先的に認める( )を採用した。
この制度は( )で採用された方法で、日本ではこの大会が初めてであった。
神戸ではこの後、身体障害者の国際スポーツ大会である( )が、( )を主会場に開催。
世界の( )カ国・地域から( )人の選手、役員が参加した。
市会場には神戸市が生涯学習の場として実施している( )のキャンパスも設置。

明石海峡大橋が開通
( )と言われた明石海峡大橋が世界最長のつり橋として開通した。( )年がかりの大工事。
橋の全長は( )メートル、中央支間( )メートル、
主塔の高さは海面上( )メートル国道( )号が路線名。
本州と四国を橋で結ぶ構想は戦前からあり、神戸市長の( )、
淡路島出身の政治家である( )らが早くから( )の建設を提唱していた。
計画が具体的に動き出したのは( )が設立されてからである。
( )ルートでは( )と( )を結ぶ( )が開通し、その後明石海峡大橋が開通した。
これによって( )港と( )港を結ぶ( )航路が廃止された。

神戸空港の開港
2006年、神戸空港、愛称・( )が開港した。埋め立て工事に着工して約( )年。
神戸経済界が「神戸に空港を」と言い始めてから( )年だった。
開港の年に神戸市内を訪れた観光客は( )人で、調査が始まってから2番目に多かった。
この空港は( )の就航、( )の受け入れによって、
空港に隣接した( )ゾーンの研究成果を
国内外へ有効活用していく役割などが求められている。
法政大学がパイロット養成拠点( )を開設。
ヘリコプター世界最大手の( )の子会社、( )が訓練施設を併設した格納庫を稼働。

神戸マラソン
第1回神戸マラソンの大会テーマは( )。
当日参加者は約( )人。フルマラソンは( )前からスタートし、
( )や( )などの名所を巡りながら、( )で折り返し、( )付近にゴールするコース。
クォーターマラソンのランナーたちは、( )をスタートし、( )でフィニッシュした。
沿道には約( )人の応援が駆け付け、開催に当たってはボランティア約( )人が協力。
フルマラソンの完走率は( )%だった。

神戸の伝説
魚崎と五百崎
古くは( )と読まれ、また( )とも書かれている。
( )によれば( )天皇の時代、( )という船が老朽化したので、
船を燃やして( )を焼き、それを各地に配り、新しい船の建造の費用を得ようとした。
このときとれたのが( )籠だったとも、各地から献上された船が( )艘だったともいう。
名は、この( )を焼いた浜の砂州から付いたとも、
各地から献上された船が集まった岬だったから付いたとも伝えられている。
名前が改めたのは、不漁続きを長板地元の漁師たちが、
魚がたくさんとれるようにと願いを込めたという。

雀の松原
( )の松原にはたくさんの雀がすんでいて、
丹波からやってきた雀の大軍と激しい空中戦を繰り広げ、
傷ついた雀が落ちてきたので、ある村人が拾って( )として売ったところ、
大繁盛したところから雀の松原と呼ばれるようになった。
( )には、「千代に替らぬ翠は雀の松原・( )、雲井にさらす( )は我朝第二の滝とかや…」
と記されている。この辺りは、古代、( )に属していた。実際は、
( )に( )の文字を当て、それが( )と読み変えられて、地名が起こったと思われる。
( )町の公園( )に、この地名にちなむ2つの石碑が立っている。ひとつには( )詠の記載。

御影と沢の井
( )駅の南プラットホームの高架下にしめ縄が巻かれた石造りの井戸がある。
沢の井と呼ばれるこの泉に、御影の地名にまつわる言い伝えがある。
西方からの帰途、( )皇后はこの辺りで船を下りて小休止した。このとき、
清らかな水をたたえるこの泉を見つけ、顔を映して化粧を整えた。
皇后の御姿がきれいに映ったことから、地名が生まれたという。
しかし歴史的には、古代に鏡を作る技術者集団「鏡作部」がいたことから、
( )から地名がついたと考えられる。平安時代は、( )の地名が記録されている。
( )には、このような地名の由来を伝える( )モニュメントが設置されている。

処女塚
( )区の処女塚古墳と( )古墳、( )区の( )古墳の3つの古墳には、
悲恋の物語が伝えられている。
その昔、この地に住んでいた( )はたいそう美しく、多くの男が求婚した。
ついにこの地の( )が彼女を妻にしようとしたところ、
和泉の国から( )がやってきて激しく争った。
彼女は、争いを嘆いて自ら命を絶った。
2人の若者もまた、彼女の後を追って死んでしまった。
3つの古墳は、若者たちの恋の物語を後世に伝えようとつくった墓だとされる。
悲恋の伝説は長らく語り継がれ、
( )、( )、謡曲( )、( )の戯曲( )などの文学作品にも描かれた。

敏馬神社
( )駅を南側に下ると、国道に面して敏馬神社がある。
( )皇后が九州の( )討伐に向かうとき、( )で神々を集めて勝利を祈願した。
このとき、( )郡の( )山に住む神が、
「ここから美しい杉を切り出して船を造り、わたしを祭って戦に出なさい」と言った。
その通りにしたところ、( )との戦いにまで勝利した。
船は対馬の沖で急に動かなくなり、勝手に東に向かって帰りはじめた。
やがて瀬戸内海の( )の沖で船が止まった。
占ってみると( )の神が現れ、この地に祭るように命じたというのが由来である。
社殿のある台地はかつての岬で、岬の西の入り江が( )。東の入り江が古代の( )。
( )には敏馬を詠んだ歌がある。

布引の滝
昔、滝で修行して霊力が備わったのち、善行を施した、
( )あるいは( )、( )と呼ばれた娘が、
修行のときに白い着物を岩にひっかけていた様子に、
滝の姿が似ているので、布引の滝と呼ばれるようになったという。

若菜の里
かつて( )の辺りでは、正月の七草として若菜を摘んで御所に献上する習慣があり、
一帯は若菜の里と呼ばれていた。
しかし( )の戦場となり、里が荒廃してしまったため、その習慣は途絶えてしまった。
後に、( )がこの地を訪れた際、その習慣を知り、これを復活したという。
( )が「行きて見ぬ 人も偲べと( )の形見に摘める若菜なりけり」
と詠んだのもこの地のことだといわれ、( )通や若菜通の地名は、ここから付けられた。

夢野の鹿
( )の山すその野に、鹿の夫婦がすんでいた。牡鹿は妻に隠れて、
( )にすむ別の牝鹿のもとに通っていた。ある朝、牡鹿は妻に昨夜の夢の話をした。
夢の中で、牡鹿の背中には白い雪が降り積もり、ススキが生い茂っていたという。
妻は牡鹿が行かないよう、「背のススキは矢、雪は塩のことで、
射殺されて塩とともに食べられるという悪い知らせだから、この野でじっとしていましょう」
と偽りの夢占いをした。しかし牡鹿は妻に隠れて出発した。
泳いで海を渡っていると、海上で船に乗った漁師に見つかり、
矢を射られて殺されてしまった。
この話から夢野の名が起こったと( )はいう。( )に( )の名がある。( )がこの地。
朝廷の直轄地で出入りが禁じられていたので( )と呼ばれたことによる説もある。

経ヶ島と松王丸
( )に居を移した( )は、( )の改築に取りかかった。
工事は予想以上に難航を極めて、
彼は「海の神に人柱を捧げよ」という占いを実行することにした。
これを聞いた松王丸という待童が自ら人柱になると願い出た。
彼は一切経を書き写した石とともに海に沈められ、以降、工事は順調に進んだ。
( )が別名経ヶ島と呼ばれるのは経文を書いたこの石に由来する。
なお( )では、人柱を立てることは仏法に反するとしている。

白滝姫とつゆの井
( )現・( )の( )は、務めに出た( )で( )の娘、白滝姫に恋をした。
彼が娘を伴って( )に戻る途中、( )の辺りで一休みした。
村人が干ばつで困っていると聞いた娘が、
手にした杖で地面を突くと清らかな泉がわき出したという。
やがて病にかかって死んでしまった娘を手厚く葬ったところ、
その前のくぼ地から清らかな泉がわき出て、水の面に栗の花が散り落ちたという。
ここから( )と呼ばれるようになった。一方、先の村の泉には祠が建てられ、
そばの森は( )と呼ばれた。その地名は、( )町となって受け継がれている。

行基と蓮池
( )区の蓮池町、( )通の名は、かつてこの地にあった蓮池にちなむ。
布教のために行脚していた僧の行基は、
( )山の麓で、水不足に悩む農民を指導し、かんがい用のため池を造った。
池が完成したとき、行基は堤防に登り、池に蓮を投げ入れた。
この花が毎年咲くようになり、人々は池を( )と呼ぶようになった。
( )の( )池、( )市の( )池も、彼の指導の下に築かれたと伝えられている。

高取山
高取山は、江戸時代は( )山と書いていた。
この山に( )ことに由来するといい、JR( )駅、( )区の( )町にその名をとどめている。
( )や( )では、( )山の伝説が語り継がれている。
大洪水が起こって山頂まで水につかった。水が引いた後、
山に登った人が山頂の松の木に大きな( )がぶらさがっていたのを見つけて取って帰った。
この( )山が訛って高取山になった。
( )区の( )町は高取山の古名を伝えている。
伝説によると、( )皇后は西国からの帰路、( )に上陸して一休みした。
かたわらの岩を撫でたところ、みるみる大きくなって山となった。
( )皇后が撫でた山から、高取山は別名、( )山と呼ばれた。

匂いの梅と飛び松
( )は( )氏との政争に敗れて失脚し、( )に左遷されることになった。
旅の途中、彼が立ち寄ったとされる地には、さまざまな伝説が残っている。
( )に上陸した彼は、風にのって漂う( )に魅了された。導かれて西へ行くと、
( )と呼ばれる辺りに満開の花を咲かせていた。これを見た彼は歌を歌ったという。
その辺りに、( )町の名が付けられた。( )の地名も、彼にちなむという説がある。
彼を休ませるため、村人が急ごしらえの( )をしつらえた。その名はこれに由来するという。
ここで彼は京の屋敷の庭の梅と( )と桜の木を思い出した。
彼が左遷されると知った桜は、悲しんで枯れてしまい、
梅は、都からよい香りを送ってくれたが、あと一つの木は知らん顔。
彼が「なんと情け知らずの木だろう」というつぶやきを聞いたその木は、
即座に京から彼のもとに飛んできた。( )神社に残る古株は、この( )だといわれる。
( )町の名は、この伝説にちなむ。
彼が( )に立ち寄った際、土地の漁師たちは綱をぐるぐる巻いて地面に敷き、
丸い座席にして休息の場とした。後に彼が天神さまとして祭られるようになると、
この地にも天神社を建て、( )と呼ぶようになったという。
所在地は、( )町と名付けられている。
また同様の言い伝えが、( )区( )町の( )にも伝わっている。

松風村雨
松風町、村雨町、( )町、( )町、( )町など、
( )区には松風村雨と( )の伝説にちなんだ地名が多い。
尼になった松風・村雨が暮らした庵の跡であるといわれる( )の境内には
( )の( )の切り株が残っている。

五色塚
五色塚古墳は、県内最大の( )で全長( )メートル。
立地から( )に関わった豪族の墓と考えられているが、
伝説では( )皇后にまつわる伝えがある。
西国からの帰路、皇后は九州で( )天皇の皇子を生んだ。
天皇はすでに亡くなっていたが、別の妃との間に、( )、( )という二人の王子がいた。
二人は皇后らが無事に( )に戻ったら、生まれたばかりの王子が次の天皇になると考え、
一行の殺害を企てた。( )で待ち伏せた二人は、( )天皇の塚を築くと偽り、人員を集めた。
こうしてできた塚は、( )の( )浜の石を葺き石にしたため、
五色塚と呼ばれるようになったという。
皇后の到着を前にして、王子は戦の勝利を占って狩りをした。
このときの狩り場の入り口が、( )である。
しかし皇后の襲撃は失敗し、王子ら首謀者6人は首をはねられ、
甲とともに山に埋められた。この山は、( )山と呼ばれるようになったという。

舞子の浜
舞子の由来は、( )や( )が、ここで乙女に舞を舞わせたからとも、
あるいは、松の姿が舞子が舞うのに似ていたからともいう。
潮流の激しいこの辺りは、海水が舞い込むので、まいこと呼ばれたという説もある。

淡河
( )山地の北に位置する淡河の地は、かつて巨大な( )湖の底であったと
語り継がれている。湖岸に住む( )が堤を切って湖の水を流したという。
こうして現れた盆地は( )と呼ばれる豊かな田園地帯となり、
村人は盆地の守り神として、湖底の最も深いところに( )と( )を祭ったと伝えている。
湖の堤を切った場所が、淡河の南端の( )。
また淡河町には今でも( )、( )、( )、( )などの地名が残っており、
湖があった時代の名残であるという。

有馬温泉
( )と( )が( )山を歩いていると、傷ついた3羽のカラスが水浴びしているのを見かけた。
カラスの傷がたちまち癒えるのを見て泉を調べると、果たして薬効のある温泉であった。
有馬温泉は、こうして発見されたという。有馬温泉は、何度となく災害に遭っているが、
その復興に貢献したのが、( )と( )という二人の僧である。
奈良時代、( )で( )を築いていた( )は、行き倒れの老人を見かけた。
老人は「もはや一歩も歩けない。湯治のために有馬まで連れて行ってもらえぬか」と訴えた。
哀れに思った彼は老人の願いをかなえてやろうとした。すると老人は薬師如来となり、
「お前の慈悲心はよくわかった。有馬に行って、山崩れで中断した温泉地を再開しなさい」
と告げて消えた。その言葉に従い、彼はさびれていた温泉を再興。
薬師如来の像を彫り、お堂を建てて祭った。これが( )の起こりであるという。
また、近くの山で木を伐採して湯槽を作った。この山が( )山である。
それから後の鎌倉時代、( )の僧の( )は不思議なお告げを聞いた。
( )が夢に現れ、「荒れ果てた有馬を再興せよ」と命じたのである。
たどり着いたものの泉源が土砂で埋もれて見つからない。
彼が困り果てていると老人が現れ、
「この木の葉の堕ちたところが湯のわき口じゃ」といって木の葉を谷に向けて投げた。
葉の落ちたところを掘ってみると、お湯がわき出した。
老人が投げた山は、( )山と呼ばれている。
なお彼は薬師如来を守る十二神将にちなんで十二の( )をつくった。
有馬温泉の宿に( )の名が付くのはこのためである。
( )寺の( )には、有馬中興の祖である( )と( )の像が祭られている。
毎年1月2日、この像が運び出され、初湯を注ぐ( )が行われる。

雄岡山と雌岡山
( )の丘陵地に並ぶ二つの山、雄岡山と雌岡山。
男の神と女の神が地面に金棒を立てて、土を盛って山をつくり、高さを競った。
二つの山の間には、( )がある。これができたのは、男神の金棒が折れて落ち、
できたくぼみに水がたまったと土地の人は言い伝えている。別の説もある。
二つの山を気に入った( )が、
家に持ち帰るため二つの山に金棒を突き刺して担ごうとしてところ、
重さのあまり金棒が折れ、地面にくぼみをつくったというもの。
さらに、二つの山の間からたくさんの神が生まれ出たので、( )の地名が誕生した。

近江寺の霊木
大化年間のこと、( )の水面に光を放つ桜の木が浮かんでいた。
そこへ通りかかった( )は、
「これは霊木に違いない。( )の国に運んで観音さまを作ろう」と考えた。
すると木は一瞬のうちに空を飛び、( )の国にたどり着いた。
この木が付いたところは、( )と呼ばれるようになった。
そこにやってきた彼は、神聖な地を探し歩いていた。
そこに牛に乗った翁が現れ、彼が背負っている霊木を見つけた。
そこは後に( )と呼ばれるようになった。彼は霊木で千手観音を刻み、寺を建てた。
( )に浮かんでいた木が導いた寺なので、( )と呼ばれている。
( )の( )寺、( )町の( )寺、( )町の( )寺、
( )区の( )寺、( )市の( )寺も、彼ゆかりの寺であると伝説する。

扇港と錨山・市章山
神戸港は、かつて扇港の愛称で親しまれた。実際扇港なる新民謡も作られた。
第二回( )のために制定された同名の主題歌のB面に配された曲。
( )と名乗る芸者と一緒に、有名になる前の( )が( )なる変名で歌っている。
奈良時代から、( )として開けていた現在の( )と、
幕末に開港した東の( )が、共に扇を開いたような格好をしているからといわれる。
( )は旧仮名( )の( )と、
開いた二つの扇を横にずらして重ね合わせた形の両方の意味を持たせている。
デザインは、京都・西陣織の図案家・( )が担当。
俳人の( )が市職員になった時も、
これをかたどったマークがとても好きだったと自伝に書いている。
その後も( )高校を卒業後、
宝塚スターから女優を経て参議院議長になった( )の芸名もこれにちなんでいる。
現在は( )が、港の防火・防災に功績のあった消防関係者に贈る
扇港賞などに辛うじて名残をとどめている。

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第2章 歴史
神戸の歴史
原始・古代
「原人」から縄文人、そして弥生人
(直良信夫)(明石)(西八木海岸)
(長谷部言人)(明石原人)(会下山)(山田)(大歳山)
(明石)(雌岡山)(雄岡山)
(本山)
(大歳山)(六甲山)(篠原)
(北青木)
(戎町)(本庄町)
(楠)(荒田)
(明石)(新方)
(保久良)(荒神山)(桜ヶ丘B)(布引丸山)(祇園社裏山)(鉢伏山)
(倭国大乱)
(桜ヶ丘)(14)(7)
(国宝)(神戸市立博物館)
(投ヶ上)(渦ヶ森)(本山町生駒)(本山町森)(北青木)

海と丘を支配した豪族
(ヘボソ塚)(夢野丸山)(会下山二本松)(得能山)
(東求女塚)(処女塚)(西求女塚)(2)
(一人の女性に二人の若者が求婚する悲恋伝説)
(明石)(天王山4号)(天王山5号)(西神ニュータウン内の方)
(五色塚)
(念仏山)(脇浜天王塚)
(王塚)(明石)
(住吉東古墳)(大歳山二号墳)(金棒池一号墳)(天王山三号墳)

古代から国際港-行基が整備
(摂津国兎原)(雄伴)(有馬)(播磨国明石)(美嚢)
(大輪田泊)(行基)
(新羅国)(生田神社)(敏売崎の泊)
(式内社)(兎原)(保久良)(河内国魂)(大国主西)
(八部)(生田)(長田)(汶売)(有馬)(有間)(温泉)(公智)
(明石)(宇留)(物部)(海)(弥賀多々)(伊和都比売)

古代山陽道と文学の舞台
(西摂津)(播磨)
(西摂津)(葦屋)(須磨)
(葦屋)(深江北町)
(有馬)(葦屋)(兎原)(敏馬)(大和太)(真野)(須磨)
(敏馬)
(処女塚)(東西両求女塚)
(須磨)(在原行平)
(多井畑)(村雨)(松風)
(村雨)(松風)(平城天皇皇子阿保親王)(在原業平)
(須磨)

清盛の「開港」と福原遷都
(平知盛)
(平忠盛)
(日宋)
(銅銭)(陶磁器)
(大輪田泊)
(兵庫津)(兵庫島)
(来迎)(築島)
(松王小児)
(人柱の代わりに石にお経を書いて沈めた)(経ヶ島)
(後白河法皇)(宋)
(後白河法皇)(時子)(滋子)(高倉上皇)
(徳子)(安徳天皇)(安徳天皇)(本皇居)
(福原)(和田京)
(山陽道)
(九条兼実)(玉葉)(和田岬)

源平の戦いと平家の滅亡
(平清盛)(源義経)
(福原)
(生田の森)(一ノ谷)
(播州草山)(鵯越)(源義経)(夢野)(平教経)
(古明泉寺)(平盛俊)(源義経)
(坂落とし)(鵯越)(一ノ谷)
(平通盛)(平忠度)(平知章)(平師盛)(平経俊)(平敦盛)(平業盛)
(生田の森)(平重衡)
(平敦盛)(熊谷直実)
(須磨)(当山歴代)
(須磨浦公園)(敦盛塚)
(あつめ塚)
(平家)(屋島)(壇ノ浦)
(都賀)
(山路)(葺屋)(九条)(輪田)
(福原)(兵庫上)(兵庫中)(兵庫下)(井門)
(阿理野)(宅原)(上津畑)(塩田)(八多)(淡河)(山田)
(垂水)(山田)(伊川)(押部保)(下端庄)(玉造保)(平野)

中世
港の復興と仏教の浸透
(東大寺大仏)(重源)(兵庫島)
(叡尊)(兵庫島)
(安養)
(清盛塚)
(亀山上皇)(兵庫島)
(三条実躬)(実躬卿記)(和田岬)(平清盛)(経ヶ島)
(法然)(一遍)(真光)
(伏見上皇)(兵庫島)(兵庫北関)
(兵庫南関)
(関屋)

転換期に続く動乱
(播磨)(赤松則村)
(摩耶山)(六波羅探題)(兵庫)(尼崎)
(兵庫)(福厳寺)(後醍醐)
(赤松則村)(足利尊氏)
(足利尊氏)(兵庫)
(楠木正成)(湊川)
(楠公)(尼崎)(青山幸利)(水戸光圀)
(明治天皇)(湊川神社)
(赤松)(摂津)(美作)(播磨)(備前)
(赤松則村)(赤松満佑)(足利義教)
(播磨)(城山城)(嘉吉の乱)
(大内政弘)(兵庫島)
(摂津国人)(莵原)(本庄山)
(足利義材(義稙)(細川政元)
(細川澄之)(細川澄元)(細川高国)(摂津)
(細川)(細川義輝)(細川晴元)(三好長慶)
(三好三人衆)(三好政康)(三好長逸)(岩成友通)
(足利義輝)(松永久秀)(布引の滝)(滝山)

再び国際港として脚光
(明)(兵庫島)
(広厳)(福厳)(福海)(宝満)(禅昌)
(東大)(兵庫北関)(兵庫北関入船納帳)(兵庫北関雑船納帳)
(瀬戸内)(北関)(関銭)
(中型・大型)(2000)(2500)
(西日本各地の特産物)
(魚崎)(兵庫)(須磨)
(兵庫)(43)(瀬戸内海)
(兵庫北関雑船納帳)(薪)(人)(小型)
(西宮)(尼崎)(淡路)(岩屋)(由良)(洲本)(木津)(京都)
(兵庫北関入船納帳)(淀川)(川)
(兵庫)(瀬戸内)(京都)(ターミナル)

丹生中心に独自の中世文化
(兵庫島)
(北)(丹生)
(京都)(有馬)(谷上)(衝原)(播磨)(山田)
(湯山)
(法道仙人)(丹生山明要寺跡)(坂本・丹生神社)
(箱木千年家)
(真言宗清光寺)(六條八幡神社)
(大日如来座像)(無動寺)(若王子神社)
(寿福寺)
(坂本)(永徳寺)(東下)(最法寺)
(山田)(唐櫃)(法道仙人)(平清盛)(福原遷都)
(多聞寺)(豊臣秀吉)(淡河)
(淡河)(附物)(五社)(有馬)(淡河)(湯山)
(法道仙人)(石峯)
(淡河八幡神社)
(西)(本堂)(太山寺)(法道仙人)(如意)(近江)
(行基)(性海)

近世
天下人とともに
(織田信長)(三好三人衆)(松永久秀)(三好)
(豊臣秀吉)(千利休七哲)(荒木村重)(摂津守護)
(伊丹)(有岡)(花隈)(花熊)(大河原具雅)(荒木元清)
(石山本願寺)(花熊)(池田恒興)
(兵庫)(姫路)(池田輝政)
(織田信長)(豊臣秀吉)
(正直屋(棰井家)(豊臣秀吉)
(豊臣秀吉)(有馬温泉)
(慶長)
(須磨寺)(本堂)(三重塔)(権現堂)

世界一の都市を支えた港
(西国)
(兵庫島)(兵庫津)
(豊臣)(尼崎)(戸田氏鉄)
(兵庫津)(尼崎藩)
(青山幸成)(桜井松平忠喬)
(有馬)(三田藩)(明石)(明石藩)
(大坂城代)(大坂定番)(旗本の飛び地)(幕府)
(兵庫津)
(浜本陣)
(兵庫津)(北風彦太郎)
(西国)(北国)(瀬戸内)(兵庫津)
(北風彦太郎)(江戸)(酒)(兵庫津)(江戸)
(淀川)(浅い)
(渡海)
(兵庫津)(外港)
(兵庫津)(渡海)
(大坂上荷船)(茶船仲間)
(兵庫渡海)

北前船の拠点として
(兵庫津)
(買い積み)
(運賃積み)
(兵庫津)(北風家)
(北風の湯)(北風恒村)
(北風貞幹)(兵庫津)(北前船)
(高砂)(工楽松右衛門)(兵庫津)(北前船)(松右衛門帆)
(択捉島)(杭打ち)
(淡路)(高田屋嘉兵衛)(兵庫津)(蝦夷地交易)
(北風家)(北風荘右衛門貞幹)(北前船)(北風貞幹)
(択捉島)
(ゴロウニン)
(ゴロウニン)(竹尾稲荷神社)
(兵庫津)
(行川路聖謨

六甲山系が培った日本一の酒どころ
(灘)(灘)
(六甲山)(カリウム)(硬水)
(六甲山)(水車)
(浜)(江戸)(海運)
(寒造り)
(菱垣廻船)(江戸)
(スピード)(樽廻船)(江戸)(スピード)(新酒番船)
(江戸)(55%)(灘目)

御影石・菜種・素麺・煙草も特産に
(御影)(大坂)(花崗)
(御影)(住吉)(御影)
(菜種)(水車)(絞り)
(絞り)
(摂津)(絞り)
(三輪素麺)(素麺)(水車)
(摂州莵原)
(カリフォルニア世界博覧会)(パリ万国博覧会)(セントルイス万国博覧会)
(明石)(煙草)
(木綿)(線香)(イワシ)(イカナゴ漁)

灘目の幕領化と広域行政の推進
(芦屋庄)(本庄)(山路荘)(都賀荘)(葺屋荘)
(灘目)
(武庫)(莵原)(八部)(明和の上知)
(石谷清昌)(灘目)
(絞り油)
(西宮)(兵庫津)
(摂津)
(尼崎)

開国が攘夷か―港町に再び脚光
(摂海)(徳川家茂)(神戸村安永新田)
(勝海舟)(海軍操練所)
(二茶屋村)(網屋吉兵衛)
(坂本龍馬)(兵庫県知事)(陸奥宗光)
(イギリス)(パークス)
(半)
(神戸村)
(海岸は人家が少なく居留地を建設しやすかった)
(海軍操練所の施設などがあり、有効活用を考えた)
(京橋)(運上所)
(洋館)(東運上所)(海岸通)(西運上所)
(神戸税関)
(西国街道)
(石屋村)(明石郡大蔵谷)(徳川道)
(三宮神社)(西国街道)(西宮)
(神戸事件)(東久世通禧)(イギリス)(パークス)
(瀧善三郎)
(東久世通禧)(兵庫鎮台督)(兵庫鎮台)(兵庫裁判所)(兵庫県)
(神戸事件)(伊藤博文)

近代
開港と外国人居留地の開設
(外国人居留地)
(神戸市役所)(大丸神戸店)(旧居留地)
(海岸通)
(居留地行事局)(J・W・ハート)(126)
(居留地)(京町筋)
(海岸通)(プロムナード)
(歩道)(車道)(排水)(下水道)
(東遊園地)
(明石)(播磨)(浪花)(京)(江戸)(伊藤)
(道路)(居留地)(オリエンタル)
(アメリカ)(15番館)
(旧居留地)(国の重要文化財)
(ノザワ)(レストラン)
(居留地)(領事裁判権)
(ノルマントン号)
(居留地)(治外法権)(永代借地権)

街づくりが進む
(生田)
(加納)(フラワーロード)(加納宗七)
(大阪)(神戸)(官営)(三ノ宮)(西ノ宮)
(神戸)(京都)(神戸)(新橋)
(神戸停車場)(神戸)(相生)
(西国)(相生橋)
(石屋)
(兵庫)(和田岬)
(神戸市中央卸売市場)(中之島)(新川)
(神田兵右衛門)(北風荘右衛門)(小西新右衛門)
(東尻池)(兵庫運河会社)
(湊)
(湊川改修会社)(湊)(菊水橋)
(会下山)(湊)(苅藻)
(会下山)

新開地の誕生
(湊)(湊川)
(湊川神社)(福原)
(相生座)(朝日館)(菊水館)
(聚楽館)
(帝国劇場)(ルネサンス)
(聚楽第)(ええとこええとこ聚楽館)
(神戸タワー)

神戸市の発足
(神戸)(兵庫)(坂本)(神戸区)
(旧神戸村)(兵庫津町)(坂本)
(葺合)(荒田)(神戸区)(鳴瀧幸恭)
(カウベ)(カ)(扇港)(神戸港)
(六甲山)
(市章)(錨)(明治天皇)
(錨)
(アジサイ)(六甲山系)
(サザンカ)

メリケン波止場
(神戸)(居留地)(米国領事館)(宇治川)
(米国領事館)(中突堤)
(米国領事館)(アメリカン)
(万国)

市内が騒然となる
(米騒動)(鈴木商店焼き打ち)
(鈴木商店)(金子直吉)(総合商社)
(昭和金融恐慌)(城山三郎)(鼠)
(外米輸入)(鈴木商店)(神戸新聞社)
(川崎・三菱大争議)
(川崎造船所)(三菱神戸造船所)
(神戸製鋼所)(台湾製糖)(ダンロップ)
(新開地)(35000)(神戸駅)(元町通)(東遊園地)

電気、ガス、水道
(居留地)(外国人)(兵庫ガス商会)
(居住する外国人)
(神戸瓦斯)
(兵庫瓦斯)(兵庫ガス商会)
(大阪瓦斯)
(神戸電灯)
(神戸電気)(須磨)
(神戸電気鉄道市街電車)(神戸市電)
(関西配電会社)(関西電力)
(コレラの大流行)(奧平野浄水場)
(千苅貯水池)

動物園の開園
(王子公園)(諏訪山遊園地)
(金星の太陽面通過)
(フランス)(金星台)(諏訪山)
(諏訪山)(神戸区)(神戸区営諏訪山)
(神戸市)(神戸市立諏訪山)(王子公園(王子動物園)
(コウコウ興興)(タンタン旦旦)(2010)(9)(コウコウ)
(和田岬)
(神戸市立須磨水族館)(須磨海浜水族園)

みなとの祭
(みなと音頭)(みなとの祭)
(鈴木商店)
(湊川公園)(みなとの祭)
(神戸まつり)

阪神大水害
(六甲)(マサ土)(花崗岩)
(灘)(湊川高等実業女)(須磨)(須磨浦療)
(616)
(六甲)(再度山ドライブウエー)
(宇治)(生田)
(谷崎潤一郎)(細雪)
(細雪水害)
(六甲砂防事務所)
(六甲砂防工事事務所)(六甲)(524)

その他の豪雨被害
(六甲)(市ケ原)
(宇治川)
(六甲治山事務所)

新湊川の氾濫
(兵庫)(長田)(新湊川)
(湊川)(湊川公園)(新開地)
(菊水橋)(洗心橋)(東山商店街)

神戸空襲
(ドウリットル)(B25)
(軍需工場)(B29)
(新川運河)(大輪田)
(薬仙)
(大倉山公園)
(474)
(3000)(60万)
(原爆模擬爆弾投下)
(野坂昭如)(火垂るの墓)(妹尾河童)(少年H)

戦後
連合国軍の進駐
(旧居留地)(神港ビル)(神戸基地軍司令部)
(そごう南側)(神戸税関)(イーストキャンプ)(神戸駅前)(ウエストキャンプ)
(イーストキャンプ)(磯上)(ウエストキャンプ)(神戸駅前広場)

失敗した神戸博
(王子公園)(湊川公園)(日本貿易産業博覧会)
(小寺謙吉)
(吉田茂)(2億)
(原口忠次郎)
(明石架橋)
(山、海へ行く)(ポートアイランド)
(技術屋)(アイデア)

広がる神戸市域
(八部郡林田村)(湊村)(池田村)
(美嚢郡淡河村)
(武庫郡西郷町)(西灘村)(六甲村)(灘)
(武庫郡御影町)(住吉村)(魚崎町)(東灘)
(ポートアイランド)

ポートピア’81
(ポートアイランド)(5300億)
(436)(西ドイツ)(374億)(マルク)
(神戸ポートアイランド博覧会)(新しい”海の文化都市”の創造)
(宮崎辰雄)
(1610万)(94億)

ユニバーシアード神戸大会
(総合運動公園陸上競技場)
(106)(4352)
(オフィシャル企業制度)
(ロサンゼルス・オリンピック)
(フェスピック神戸大会)(しあわせの村)
(41)(1646)
(神戸市シルバーカレッジ)

明石海峡大橋が開通
(夢の架け橋)(12)
(3911)(1991)
(297,3)(28(神戸淡路鳴門自動車道)
(原口忠次郎)
(原健三郎)(明石架橋)
(本州四国連絡橋公団)
(神戸―鳴門)(淡路島)(徳島県鳴門市)(大鳴門橋)
(須磨)(大磯)(淡路フェリー)

神戸空港の開港
(マリンエア)(7)
(40)
(2920万)
(ビジネスジェット)(医療用緊急輸送便)
(医療産業)
(飛行訓練センター)
(ユーロコプター)(ユーロコプタージャパン)

神戸マラソン
(感謝と友情)
(23000)(神戸市役所)
(JR新長田駅前の鉄人28号モニュメント)(明石海峡大橋)(舞子公園)
(ポートアイランド・市民広場)
(神戸市役所)(須磨浦公園)
(52万3千)(6000)(97.4)

神戸の伝説
魚崎と五百崎
(魚崎いおざき)(五百﨑いおざき)
(日本書記)(応神)(枯野)
(塩)
(五百)(五百)
(塩)

雀の松原
(魚崎)
(灘の焼き雀)
(源平盛衰記)(御影の松)(布引)
(摂津国莵原郡佐才郷)
(ササイ)(雀)(すずめ)
(魚崎西)(ちびっこ広場)(中納言公尹卿)

御影と沢の井
(阪神御影)
(神功)
(影を見る)(摂津国莵原郡覚美郷)
(阪神御影駅北広場)(沢の井の地)

処女塚
(東灘)(東求女塚)(灘)(西求女塚)
(莵原処女)
(莵原壮士)
(血沼壮士)
(万葉集)(大和物語)(求塚)(森鴎外)(生田川)

敏馬神社
(阪神岩屋駅)
(神功)(熊襲)(尼崎の神崎)
(能勢)(美奴売)
(新羅)
(灘)
(美奴売)
(脇の浜)(敏馬の浦)
(万葉集)

布引の滝
(大竜王)(弁財天)(乙姫さま)

若菜の里
(葺合)
(源平合戦)
(蓮如上人)
(紀貫之)(春日野)
(春日野)

夢野の鹿
(六甲)
(淡路の野嶋)
(風土記)(法隆寺資財帳)(摂津国雄伴郡宇治郷伊米野)(伊米野)
(禁野いみの)

経ヶ島と松王丸
(福原)(平清盛)(大輪田泊)
(築島)
(平家物語)

白滝姫とつゆの井
(丹生の山田の里)(北区山田町)(山田左衛門真勝)(平城京)(右大臣藤原豊成)
(山田)(石井村)
(栗花落の井)
(栗花落の森)(都由乃)

行基と蓮池
(長田)(蓮宮)
(高取)
(蓮の池)
(西区玉津)(今井)(伊丹)(昆陽)

高取山
(鷹取)
(鷹を取りにきた)(鷹取)(須磨)(鷹取)
(須磨)(長田)(蛸取)
(蛸)
(蛸取)
(須磨)(神撫)
(神功)(長田の里)
(神功)(神撫)

匂いの梅と飛び松
(右大臣菅原道真)(藤原)(大宰府)
(大輪田泊)(梅の香り)
(真野)
(梅ケ香)(板宿)
(板囲いの宿)
(松)
(板宿八幡)(菅公の飛び松)
(飛松)
(須磨)
(綱敷天満宮)
(天神)
(東灘)(御影)(綱敷天満神社)

松風村雨
(衣掛)(月見山)(行平)
(須磨)(在原行平)
(松風村雨堂)
(在原行平)(衣掛の松)

五色塚
(前方後円墳)(194)
(明石海峡の海上交通)
(神功皇后)
(仲哀)
(麛坂)(忍熊)
(難波(浪速)
(明石海峡)(仲哀)
(淡路)(五色)
(狩口台)
(六甲)

舞子の浜
(在原行平)(平清盛)

淡河
(丹生)(泡河)
(国次左衛門)
(淡河の里)
(八幡神社)(歳田神社)
(于洞)
(銭波)(中嶋)(舟ケ谷)(船崎)

有馬温泉
(大己貴命)(少彦名命)(六甲)
(行基)(仁西)
(伊丹)(昆陽池)(行基)
(温泉寺)
(湯槽谷)
(吉野)(仁西)
(熊野権現)
(落葉)
(宿坊)
(坊)
(温泉)(御祖師庵)(行基)(仁西)
(入初式)

雄岡山と雌岡山
(神出)(雄岡山)(雌岡山)
(金棒池)
(弁慶)
(神出)

近江寺の霊木
(琵琶湖)
(法道仙人)
(播磨)
(播磨)
(木津)
(木見)
(近江の琵琶湖)(近江山近江寺)
(有野町唐櫃)(多聞)(淡河)(石峯)(櫨谷)(如意)
(灘)(摩耶山天上)(加西)(法華山一乗)

扇港と錨山・市章山
(神戸みなとの祭)
(虎龍)(伊藤久男)(内海四郎)
(大輪田泊)(兵庫港)(神戸港)
(市章)(カウベ)(カ)
(久江長兵衛)
(伊丹三樹彦)
(神戸)
(扇千景)
(水上防災安全協会)

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